徒然なるままに、へっぽこ夢太郎(@_@)!のきままなノート !!
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武器を持って喧嘩を売る。買った者は反撃する。負けた者は又仕返しをする。
こうして喧嘩が治まらず続いていく。
人を殺す武器をもっての解決は、負けたものに憎しみを残すだけ。
憎しみが憎しみでは消えず、新たな戦争を繰り返す。

国家、民族、宗教間での戦は、世代を超えて語りつがれ、やがて時代が変わって
歴史認識の問題に発展する。そして次世代の人たちが問題を抱えて苦悩する。

大国ですら武器を行使してもテロや紛争を克服できない世界の現実。
勝っても、負けても、負の遺産を背負って平和は約束されないでいるのだ。

そもそも、人は最初から戦をするために生まれてきたとは誰も思わないでしょう。
平等に普通の暮らしが出来ない社会の仕組みから、貧富の差が極端に起こり、
貧困生活に困り果てた人たちが生活の苦しみに困窮する。
又、人間の欲望がエスカレートし、偏った権力の集中で弱い者が追い詰められる。
自由を奪われた人たち、困り果てて行き場の失った人たちの不満の蓄積が、
犯罪行為を駆り立て、テロや戦争へと向かわせているのではないでしょうか?

一方、先進国から過激化兵士となって銃を持って戦地に向かう若者たち。
そんなに貧しいわけでもないのに・・・。何故だろう?
確かに経済的、物質的に豊かさを手に入れたが・・・。
世の中の閉塞状態、空虚感、満たせない心にバーチャリティが相まって、
刺激を求め、銃を持つ人が生まれているのかもしれない。
社会の歪みが、心の貧しさから抜け出せないでいるのかもしれない。

小さな星の世界中の人たちが、平等に普通に暮らすことができたなら、
ささいな諍いがあったにせよ、最初から誰も好んでテロや戦争をしようとは
思わないでしょう。喧嘩(テロ・戦争)の火種の根っこは「生活苦」「不自由」
「不平等」「心の貧しさ」「人間の欲望」
にあり、難しい課題ではありますが、
武力に依存しない方法で、これらを解決することが平和を得るための要と
思われるのですがいかがなものでしょうか・・・?

私はマララノーベル平和賞を受賞した17歳のマララ・ユスフザイさん。
若すぎるがゆえに、ノーベル賞の受賞に異論もでているようですが、
ここでは、マララさんの経歴と、マララさんの発する言葉に触れて
考えてみたいと思います。

 マララさんは11歳のとき、母国パキスタン北西部スワト地区でイスラム過激派
による女子教育の抑圧をブログ「パキスタンの女子生徒の日記」で告発しました。
告発後に「タリバンの本当の姿を伝える良い機会だと思います。女子の権利を
主張したことで仮に命を失ったとしても、自分にはたいしたことではありません」と
語ったといいます。
2012年10月9日、通学バスでの下校中、オートバイに乗った2人組のイスラム
過激派に襲われ、頭に銃弾を受け意識不明となりました。搬送されたバーミンガムの
病院で奇跡的に命をとりとめた。
2013年7月12日、16歳の誕生日に、国連本部で「勇気と希望の象徴」と紹介され
演説しました。
「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンで世界を変えることができる。
教育こそが解決の道です」
と呼びかけたのです。
約17分間の演説は格調高く、説得力に満ちていた。
総立ちの聴衆の拍手はしばらく鳴りやまなかったという。
演説は心の中に着弾し感銘を受けるものでありました。

マララさんの求めているものは、「誰でも平等に自由に教育が受けられること」
「ペンと本を手に取ろう。それこそが最強の武器になる」
単純明快、素朴なことですが、「許しの心」で語るマララさんの言葉には、
平和への普遍的な真理を伝えようとしており心に響く力は大きい。

さて、自衛のための抑止力とばかりに、武力思考に傾く考えがありますが、
平和への解決は決して、銃ではないことを教えてくれているように思います。

自由に教育を受けられる環境にある人たちよ!
学校は遊ぶところではない。学びたくとも学べない人たちのことを思い、
恵まれた環境に感謝し、学ぶことが、将来の自分のため、世界平和のための
大切さにあり、決して憎しみを生む武器を持つことでは無いことに気づき、
人に感謝されることに生きがい見つけ、心の充実を求めてほしいと思うものです。

参考までにマララ「国連演説」の関連サイト掲示しておきます。
マラライラスト
 
マララ「国連演説全文」はこちら

マララ「国連スピーチ」日本語字幕つきはこちら

(webよりお借りしました画像です)

まとまりの無いつぶやきとなってしまいましたが、
さて、皆さんはマララさんの言葉をどう受け止められたでしょうか

(20141021  )
 数年前に尋ねた御嶽山の紅葉です。
御嶽紅葉
写真は以前に、御嶽ロープウエイ飯森駅から黒沢口登山道を上り、
森林限界を超えたあたりで撮影した1コマです。
この日は結局、予定外でしたが頂上剣ヶ峰に登頂しちゃいました。

山の紅葉はスケールが大きく、この壮大な絶景に魅了され
又、山へ行こうという気持ちを駆り立ててくれますね。

しかしながら、
悲しい出来事の2014年9月27日御嶽山噴火から2週間余り、
戦後最悪の火山被害となってしまいました。
10月14日現在で、死亡56人、行方不明7人となっているが、
入山届けを出していない人もおり、犠牲者はもっと多いかもしれません。

千人を超える警察や自衛隊の救助隊が二次災害の危険を感じながらも、
行方不明者の捜索に挑んでいる姿には有り難く感謝の念に堪えません。
銃を持たない自衛隊の活動が国民を守る本来の姿と感じとるものです。

ところで、死亡ではなく心肺停止の状態と発表されるのは何故だろう?
市街地では心肺停止したとき、一刻を争ってAEDを使い蘇生を行うように
しています。
なのに、噴火後、心肺停止して数時間、数日間も過ぎているのに・・・。
死亡ではないのでしょうか?死因のほとんどが損傷死でしたが。

死亡と心肺停止の違いを調べてみることにしました。

心肺停止とは
「心臓停止」(心音が聞こえない)と「呼吸停止」の状態。
蘇生の可能性が残されている状態ですが、現実的に蘇生率は
約4分で50%、10分後の蘇生率はほぼ0%と言われています。

死亡は
心肺停止に加え、さらに「脈拍停止」、「瞳孔散大」(瞼を開けて
対光反応がない)を、医師が診断して初めて死亡が確定します。

死亡が確定するとどうなるか?
・戸籍が抹消される。
・健康保険が停止となる。
・相続などの手続きが開始され、死亡者の財産は無くなります。

もし「心肺停止」=「死亡」であるとした場合
・事故などで心肺停止状態になると死亡したことになります。
・心臓の手術などで人工心肺を使用して心臓と肺の機能を一時的に
 停止させると、
心肺停止状態となり、この時点で手術中の人は死亡
 したことになります。

死亡となると、これらの人は、相続などの法律上の手続きが開始され
財産は無一文になってしまい、健康保険も停止されるので、心肺停止
状態以後の人工呼吸や心臓マッサージなどの医療費を支払うことが
出来ません。結局、蘇生の可能性があっても蘇生措置が行われなく
なってしまうのです。
また、戸籍も抹消され選挙権も被選挙権も無くなってしまいます。

故に、法律上から日本では、医師の診断によって死亡が確定することに
なっているのでした。

しかし、明らかに体が千切れている、(頭部、体幹の離脱)、ミイラ化、白骨化、
死後硬直、死斑、全身が腐敗しているなど、誰が見ても死亡していることが
分かる場合や観察結果から死亡が明らかな場合にはどうなのでしょう?
この場合は「社会死」といって、救急隊でも「死亡」と判断して警察に引き継ぐ
こともあるということでした。

噴火後、大型台風が二つも日本に来襲しました。
まだまだ、取り残された犠牲者の方の少しでも早い救助を願うと共に、
亡くなられた犠牲者皆さんのご冥福を心よりお祈りいたします。


(20141014