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 3作目は宮古島・来間島めぐり。

宮古島の砂山ビーチ、東平安名崎と来間大橋です。 



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(20170629



  2作目は伊良部島・下地島の島めぐり。

伊良部大橋を渡って、佐和田の浜、下地島空港、通り池、渡口の浜です。



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(20170627
 )



 6月23日「慰霊の日」。
先の大戦で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験した沖縄。
一般住民を巻き込み、20万余りの尊い命を奪い廃墟と化した。
半数近い9万4000人余りの戦死者は、兵隊以外の住民や子供という。
沖縄住民の4人に1人、そして、師範学校男子部の生徒を含む
若い命も戦争に駆り出され戦没したという。
「平和の礎(いしじ)」は、住民、軍人、国籍を問わず、
その数3万5千柱と言われる。

戦争は敗戦国のみならず、勝った方も多くの命の犠牲があるのだ。

戦争体験者の語り部が少なくなる中。
戦争体験がない世代に時代が移り変わり、知らず知らずのうちに
戦争に向けて歩んでいたというような事になってはいけない。
風聞に、日本社会が大戦前の状況に、何かしら似てきたという
声もありそうだ。
国のために国民は命を捨てるのが当たり前という「軍官民共生共死」。
国は私たちに再び押しつけることはないのか、
よく見極めていかなければいけない。

戦争地獄は他人事ではありません。本土の人々も、
先の大戦を見つめ、6月23日、慰霊の日の持つ意味を、
もう一度、考え直してみないといけませんね。



こんな記事を書いて不謹慎かもしれませんが、
平和な時代の先島諸島の美しい「宮古島」
5月の旅記録動画がやっと出来ましたので、
お時間がありましたらご笑覧ください。
4部作。今回は「宮古島へ行こう」です。


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(20170625



 南西諸島西部の島嶼宮古列島に属し、先島諸島の一部を成す。
東経125度、北緯24度に位置し、太平洋東シナ海の間にある宮古

約1万5千年前から4千年前にでき上がった隆起珊瑚礁の島。
主として
石灰岩からなる台地の島の面積は158.87 k㎡。
山も川もない平らな島であるにもかかわらず水に不自由はしていない。
それは、
珊瑚礁が発達してできた琉球石灰岩は多くの空隙を含んでおり、
水を通しやすいため地下に豊富な水を貯める地下ダムがつくられている。


「宮古(ミヤコ)」という地名は、元は「ミヤク」であったと考えられ、
「ミ(自分[?])」「ヤ(住んでいる)」「ク(場所・村)」という意味。
近隣の池間島には1,425m、伊良部島は3,540m、
来間島は1,690mの、海の上にかかる大橋で結ばれている。
青い空、エメラルドグリーンのサンゴ礁の海、まっ白な砂浜のビーチ。
美しい海に突き出した岬。豊かな自然が織りなす美しさとともに、
トライアスロン大会で地元ボランティアの人々の優しくあたたかな
人情が感じられる島なのです。


宮古島の気候の特色は、沖縄独特の年間温度差が小さい。
5月になると梅雨に入り、6月まで雨季となる。
旅に出た日はなんと晴れ間が2日続いた。おいらは晴れ男なんだと自負。
真夏のような青い空にくっきりと浮かぶ雲はないが、
5月、美しいミヤクの旅写真を撮ることができた。

宮古島東平安名崎
東平安名崎

宮古島東平安名崎灯台   宮古島東平安名崎鉄砲ユリ
東平安名崎灯台          鉄砲ユリ(5月開花)
パウダーのような白い砂の「砂山ビーチ」

宮古島伊良部大橋 宮古島来間大橋 宮古島池間大橋 
伊良部大橋(3,540m)車窓     来間大橋(1,690m)  池間大橋(1,425m)曇り空



(20170601



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